~脱、自責癖~

考える時間・・・・私は好きです。

好奇心が強い方なので(その分、飽きっぽいけれど^^;)新しい事を、想像したり、自分の心が整理されていくプロセスを観察したりするのは、人生を豊かに、深く味わうためには必要だと思っています。

・・・・が言っておきます。

私は「心を整理してみよう!」と前向きに始めたはずなのに、気が付けばいつの間にか、どんよりしている時が度々、あります。

あれっ?なんか重いぞ!という感覚です。

混同しやすい「考える(思考)」と「悩む」という、この二つは、似て非なるものである。

けれど、心はその境界線を見失しないがちなのです。

考えるとは整理、出来ている時で、問題を解決したり、自分の心を整えたりするための具体的なステップを踏めている時で「建設的な作業」です。

未来の行動や心の軽さに繋がっていると言えのるかな・・・。

一方、「悩む」とは、沼にハマっている時で、思考は同じ場所をぐるぐる回り続け、結果が出ないまま消耗していく「停滞状態」です。

「どうしよう?」

「何でこうなったのだろう?」と、変えられない過去のことに気持ちがいき始めると要注意です。

アクセルを踏んでナビに目的地を入れて進んんでいく状態と、

ニュートラルのままアクセルを全開にして空回りするくらいの差があります^^;

思考が深く考えるのが好きな人ほど、集中して境界線を破壊してしまいがちです。

私が今、一番やりがちなのが、湧いてきたネガティブな感情を

「アッ、今モヤモヤしているな・・・観察して手放そう」と見つめて、納得して、解放しようとしている途中で、気が付くと

「・・・・っていうか、私は何でこんなことに引っかかってモヤってるんだ?」

「本当にまだまだ、未熟だな」と、気が付けば、いつの間にか自分をジャッジしてる^^;

手放そう・・・いやっでも気になる…いや、手放さなきゃ・・・・でも・・・・」と続くのであるーー;

ここで、気付くべきが、

同じ選択が3回くらい続いたら、それは考えているのではなく、迷い始めている事であるということ。

いつの間にか、楽しい感覚から、重い感覚に変わる。

イタ気持ちいいから、ただの痛い、に。

心地よい疲労から、ただの疲れ、に・・・・変っていく。

この境界線、見失いやすいので、それに気づくのも遅れがちだけれど、そういう事は、起こると自覚していると、気付きも起こる。

そして、気付いたら

「また、ジャッジしていていたな・・・」とそれを、丸ごと見つめる!その訓練をするのです。

言うは易し、やるのは、なかなかの険しい道のりですが、これを繰り返し地道にやる以外ないのです。

もう何も考えず、浅く生きるぞ・・・と言うのもありだと思います。

どーぞ、どーぞ、それは人それぞれです。

ですが、私は考える事は、人生により深みを持たせ、味わい深いものにするための羅針盤のように思います。

まあ、人間なので完全に手放して、悩みの沼とは無縁で生きる・・・なんて到底出来そうにないですが、それでも、少しでも方向が変わると、何年か後、何十年か後には、ずいぶん変わっているはず^^