~無理に自分を好きになる必要ある?~

最近、周りを見渡すと「自己肯定感」という言葉が、あふれているように思う。


本屋に行けば「自己肯定感を高める方法」というタイトルの本が積まれている、SNSを開けば「ありのままのあなたで素晴らしい」という言葉がタイムラインを埋め尽くしている。

でも、正直に言い。何だか私には気持ち悪い言葉だ^^;

私はこの言葉の「一人歩き」に、ズッと違和感を覚え続けている。

例えば、誰かが深く落ち込んでいるとき。

仕事で大失敗をしたり、人間関係でボロボロになったりして、「なんて自分はダメなんだ」と激しく自己否定しているとき。
そこに「そのままの自分でいいんだよ」「今のままで完全なんだよ!」と声をかけたとて、なんの意味があるのだろう?

その言葉をかける側の善意は疑わないけれど(とても優しい人なのでしょう)、私にはどうしてもその言葉が綺麗事に聞こえてしまうのだ。


もし自分がその立場だったら、こう受け取ってしまうだろう。
「今の、激しく落ち込んで、自分を否定している最低な状態のままでいいの?苦しいんだけど。?」と。

まぁ、激しい自己否定に陥っている時には、一時的に、救いになるかもしれないけれど・・・・・。

それって、本当に救いになるのでしょうか?


「今の私で完全!!」なんて、本当に心から思える人がどれだけいるのでしょう?

【自己肯定感】という言葉の捉え方は、人それぞれでいいと思うし、正解なんてないのかもしれない。
けれど、落ち込んだ時、人が本当に必要としているのは、何が何でも自分をポジティブに肯定する力ではなく、【自己尊重】ではないかと言いたい。

「肯定」という言葉には、どこか「YES」か「NO」かの判定が含まれている気がします。
良いところがあるから認める、今の状態が素晴らしいから合格点を出す、というような。
だからこそ、ダメな部分が見えたときに「こんな自分じゃダメだ、肯定しなきゃ」と、余計に自分を追い詰めるループに陥ってしまう。

一方で、私が大切にしたい「自己尊重」は全く違います。
自分が完全だとか、完成されているとか、そんな風に思い込む必要は一切ない。

人間なんて生きている限り未完成だし、不完全なものです。


ただ、「自分が今、そう感じている」という事実を、否定せずにそのまま尊重する。

それが自己尊重だと思います。

例えば、何かに失敗して「自分は最低だ」と落ち込んでいるとき。


無理に「いや、そんなことない!今のままでいいのだ。やるべきことはやった!」とポジティブ変換(自己肯定)しようとするのは不自然だし、心の中で拒絶反応が起きます。

そうではなく、

「ああ、私は今、自分のことを最低だと思うくらい深く傷ついているんだな」

「悔しくて、情けなくて、自分を責めたい気持ちでいっぱいなんだな」と、その感情の存在をそのまま認めてあげること。
良い悪いのジャッジをせず、「そう思うのも無理はない」と、自分の胸の内を尊重すること。

悲しいときは、悲しいままでいい。
怒っているときは、怒っているままでいい。
情けない自分を嫌悪しているときは、その嫌悪感すらも、今の自分が生み出した大切な感情の一部として扱ってあげる。
それこそが、本当の意味で「自分を大切にする」ということではないでしょうか?

世間が求める「自己肯定感」は、どこか常に前を向いていることや、自分の強みを見つけて自信を持つことを強要してくるように感じて、私にはしっくりこない。


人はそんなに強くないし、常にポジティブでいられるわけがない。

私が目指すべきは、自分を「アゲる」ことではなく、自分と「和解する」ことです。


不完全で、みっともなくて、すぐに落ち込む自分。


それでも、その時々の感情を無視せず、踏みにじらず、一人の人間として尊重して寄り添っていく。

「今のままで完全」なんて思えなくていい。


ただ、どんなにボロボロな状態であっても、「私が私であること」への敬意を忘れない。


そんな【自己尊重】の姿勢こそが、この息苦しい言葉の洪水の中で、私が静かに息を吹き返すための、本当の処方箋のように思う。

先日、ノンビリ散歩している時に、フッとよぎった独り言です^^

PS, 自分の感情を何のフィルターも通すことなく見つめると、色々な負の感情がみえてきますよ^^;

#自己肯定感

#自己尊重

#カウンセリング

#電話相談

#個人セッション