かれこれ、20年近く前になりますが、思い立って、京都の山奥に瞑想合宿に行きました。
本当に山奥で、迎えに来てもらわないと、電車もバスもないところで、高知からだと前後合わせて12日間の長い期間のこもり生活です。今思うと、犬も飼ってたし、仕事を放り出してよく行けたもんだ、と感心します。
実際の合宿は10日間で、携帯や筆記用具、時計など一切禁止、おのが身一つと、着替えのみ
(生きるために必要な最低限のモノ)、食事は準備してくれます。
人と話さず、目も合わしてはけない、触れてもいけない。ひたすら自分と向き合う10日間です。
唯一、マネージャーのような方がいるので、本当に困った時はこっそりと、聞きに行く。
鐘の音と共に、朝4に起きて、瞑想、朝食を摂って、瞑想、合間にお風呂に入り、瞑想。
食事は1日2食で夕方は飲み物のみ。
1日数十時間は瞑想している状態です。
そして瞑想し、質問があれば指導者に、こっそり?尋ねる^^
9時就寝。
ココは瞑想のやり方を10日間で、徹底して学ぶ場所です。
聞くだけだと、きつそう~~と思われるかもしれないけれど、終ってみると私には心地よい空間でした。
ただ、大切なのは、その後の生活でいかに、それを続けるかです・・・・しかし、私の場合、最初は頑張るのですが、いつの間にやら、生活や仕事に忙殺されてしまい、うやむやになっていました。
瞑想は続けていると、自分にとって良い!と確信しているので、思い出したように半年後、また、合宿に行く・・・・続かない・・・・行く!!を3度繰り返しました^^;
続かない自分に、自己嫌悪に陥りつつ、これはなかったことにしよう、いい体験だった、なんて思い、こんなにも時が経ってしまった。
でも、やはり事あるごとにぶり返す瞑想への恋慕。
うろ覚えだが学んだ瞑想を、昨年から続けて1年経ちました。
完全に自己流になってるし・・・「ちゃんとした指導が欲しい~~~」となったけれど、私が学んだゴエンカ氏が提唱するヴィパッサナー瞑想の合宿は、京都と千葉のみです。
コロナ禍でオンラインで生べるようになったようですが、ピンとこないまま、色々ネット検索をしていたところ「座禅」という文字が飛び込んできました。
今まで、せっかく学んだからと、ヴィパッサナー瞑想にこだわっていましたが、県内に座禅の道場があるのなら、いいのでは?と感じました。
くしくも敬愛する【佐々木閑】氏の講義を聞き、日本では、禅宗が自己鍛錬の流れを保持していると聞き、とにかく、足を運んでみようと思いました。
その行動は私にとって、小さな挑戦でありましたが、大きな気付きを得る事になったのです。
それは方法に対するこだわりを手放すことの大切さです。
せっかく学んだから・・・・とこの方法が唯一、自分に合っている、と執着していましたが、大切なのは方法ではなく、「目指す目的」です。
方法にとらわれ過ぎると、本来の目的がかすんでしまう、この事に気づいたのも、佐々木閑先生の講義を聞けたからです。
方法にこだわるのは執着である、と。
瞑想であれ。、座禅であれ大切なのは心を澄ませて、自分と向き合うことです。
かくして、生まれて初めて座禅に挑戦するわけですが、近場で体験者の話を聞けるのは、継続していく上で、最大のモチベーションになります。
人生において、私たちは勉強法、仕事術、人間関係のあり方等々、あらゆる場面で「私のやり方」にこだわりますが、
「目的は1つだが、方法は無数」という事に気づいたのが、座禅との出逢いでした。
まだまだ、始めたばかりで、初心者ですが、人生において、1つ、執着を手放せたのは素晴らしい事です。
これからも固執せず、柔らかい心を目指していきたいです。
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