snsの発達により、個人の思いや理念、思想が瞬時に世界をかけめ繰り、何が根っこなのか?発信元は誰なのか?もはや知る術はなく溢れる情報に埋もれる毎日。
現代は、かつてないほど多くの思想や価値観が同時に流れ込む時代です。
西洋哲学、東洋思想、キリスト教、仏教、さらには心理学やスピリチュアルと呼ばれる分野まで、さまざまな考え方がインターネットや書籍を通じて簡単に触れられるようになりました。
その結果、本来は異なる前提を持つ思想が、知らないうちに混ざり合って理解されることが増えています。
たとえば仏教は、永遠に変わらない「魂」の存在や、世界を創造した絶対的存在としての神を前提としていません。
釈迦の仏教では、人間も世界も常に変化し続ける存在であるという「無常」や、固定した実体はないとする「無我」という考え方が中心にあります。
「私」という固定した魂が生まれ変わるというより、原因と結果の連なりとして生命の流れが続いていく、と理解されます。
一方、キリスト教では、世界を創造した唯一の絶対神が存在し、人間は神によって生かされている存在だと考えます。
そして人生は一度きりであり、死後は神のもとで裁きを受けるという考え方が基本にあります。そのため一般的には、仏教のような生まれ変わりの思想はないとされていると聞きました。
このように、両者は世界観の前提そのものが異なります。
しかし現代では、
「魂が成長するために何度も生まれ変わる」
「宇宙のエネルギーが導いている」といった説明の中に、仏教、キリスト教、ニューエイジ思想などが混ざり合った形で語られることも少なくありません。
すると、本来それぞれが持っている思想の背景や意味がぼやけ、あたかも同じもののように理解されてしまうことがあります。
情報が交差する時代の難しさはここにあります。
多様な思想に触れられること自体は、とても豊かなことですが、同時に、それぞれの思想が
「何を前提にしているのか」
「どんな世界観の上に成り立っているのか」
を意識して見ていかないと、知らないうちに矛盾した考え方を一つのものとして受け取ってしまい、神秘的を通り越して、怪しいことになってしまいます。
大切なのは、どれが正しいかを断定する事ではなく、
「これはどの思想から来ている考えなのか」を丁寧に見ていく姿勢だと思います。
1人が言ってることに深く傾倒していくのではなく、その事について、それこそ多角的にみる、要するにいろんな人がどのように言ってるか?出きる範囲で調べることは必須かな、と思います。
そうすることで、情報の波に流されるのではなく、それぞれの思想の本来の深さや意味を理解しながら、自分なりの視点を育てていき、そして最終的に自分の中の芯を太くしていくのではないかな?と思います。
