~人は分類できない存在である~

若い頃、占いや血液型性格診断、姓名判断を何の疑いもなく受け入れていた、という人は多いのではないでしょうか?

かくいう私もそうでした。

「私はO型だからこういう性格」

「この星の配置だから恋愛がうまくいかない」

など、そうした言葉はどこか安心感を与えてくれましたが、これが、思考停止の始まりですね。

自分が分かったような気がして、未来へのヒントをもらったような気持になります。

悪いのは私じゃなく、星のめぐりなんだ、と。

しかし、大人になり、さらに年齢を重ねていくと、それらに対してどこか拒絶感を覚えるようなにり、今はむしろ拒絶感に近いものを感じる。

「そんな単純じゃないよ。」

「最初から決まっている型にハメようとしないでよ。」

なぜなのでしょう?

それは人生を実際に生きてみると、人間というものがあまりにも複雑すぎて、深く、多面的であることを実感するからだと思います。

若い頃の悩みは

「自分はどんな人間なのか?」

「どうすればうまくいくのか?」

といったいわば、人生の入り口に立った不安が多いものですから、そんな時、象徴体系である、占いや血液型診断のように人をある型にハメて説明するものは、とても分かりやすく感じます。

ですが、人生の荒波をいくつも超えて、酸いも甘いも経験していくうちに、人の心も運命もそんな枠には収まらない事が分かってきます。

同じ血液型でも全く違う人生を歩む人がいる。

同じ星の下に生まれても全く異なる価値観の人がる。

同姓同名でも、真逆の性格の選択をする人がいる。

人は経験により変わり、環境により揺れ動き、出会いより新しい自分に出会っていきます。

つまり人間は「固定された型」ではなく、「変化し続ける存在」なのです。

象徴体系は物事を理解するための、一つの地図のようなものかもしれませんが、地図はあくまで地図であって、実際の土地ではないし、ましてや行く場所を選択するのは自身である。

人生を深く見つめてきた人ほど、その違いを実感するのではないでしょうか?

だからこそ、大人になるにつれ単純な分類で人を理解しようとすることに違和感を覚えるようになるのですね。

占いそのものを、好きで信じて指標にしたい!という人はどうぞ、信じてください。

でも、(勝手に?)私の名前や生年月日を占って、せっかく教えてもらっても私の反応は薄いので、ごめんなさい、です。

確か、私の名前はすごく字画が悪いようで、若い頃は、それを憂いて、この名前がいいですよ、と言われ提案されたことがありますが、それら全て違った名前でした^^

結局、調べられて、勝手に心配され、改名を勧められるのが面倒なので、名前をひらがなにして、その後、仕事用に「美道」と名乗るようになりました^^

本当は「三道」にしようかと思ったのですが・・・・(清く、正しく、美しく…というないものねだりを込めて)これは男性にしか思えない、という事で自分と母の漢字で「美道」にしたのですが、これでも男性に間違われますね。よしみち?とか^^

話は戻りますが、いづれにしても、人生を重ねるという事は、人を簡単に分類、説明できなくなるという事に気づく事でもあります。それは決して悪い事ではありません。

むしろ「人は簡単にわからない。」という感覚こそが、人への敬意であり、人生への謙虚さなのではないでしょうか?

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