先日、相談者様のお父様が、自宅でお一人の時に亡くなられたいうお話を聞きました。

無事、葬儀も終わり、落ち着いたので、報告とその後の心境について話したいという事でした。

享年88歳、ご冥福をお祈りいたします。

 

親子の仲は良かったようで、適度な距離を保ちながら、友達のような関係だったそうです。

彼女(相談者様)が数年前にお母さまを見送った際、お一人になったお父様に、同居の提案をしましたが、長年、別で離暮らしていたのに、今更、世代の違う二人が一つ屋根の下で暮らすのは何かと我慢がいるだろう。

「今更、この年で我慢はいやだ。わしは酒も飲むし、あれするな、これは健康にいいと、言われずに一人で自由気ままに暮らすぞ!」と笑って宣言したようです。

県外にいる、彼女のお兄様も、父親がそう言うなら、別に介護がいる体ではないし、本人の意思を尊重しよう、ということで落ち着いたようです。

 

亡くなった原因は、最近、よく耳にするようになった「ヒートショック」だったようです。

夜中にトイレに行った際に、それが起こったようです。

トイレの側の壁にもたれ、眠るように亡くなっていたそうです。

 

およそ、この世で「死」という事について、一番悲しいのは、身内の死です。

語弊がありますが、遠く離れた知らない人の死に、可哀そうと思っても、心が聞きむしられるような思いまで抱くことはまずないでしょう。

やはり、家族の死は辛いものです(私の中ではペットも家族という認識です)

 

だからこそ、残ったものは、そこに意味づけ、理由付けするのだ!!

「お父さんは、最後まで自由気ままに生きて本望だった」

「眠ってるような顔で、苦しまずに逝った」

「友達と、好きな将棋を思う存分やれた。いい人生で幸せだった」

 

本当のところは、誰にもわからないけれど、そうに違いない!!

それが家族の思いであり、亡くなった方への、最高の弔いの言葉になるのではないか!

 

それなのに、葬儀の際に、親戚や知り合いの中に

一人で逝って可哀そう・・・

誰か家族が側にいて上げたらよかったのに・・・・

孤独死なんて・・・・

淋しかったでしょうに・・・・・と、とんでもない角度からか「お悔み」言ってくる人がいた、と彼女は怒りつつも、悲しんでいました。

私もそれを聞き、残された悲しんでいる家族にそういう事を言ってくる人がいるんだ?と思いましたが、それを言った人が、亡くなったお父様の兄弟、姉妹だったとしたら?

それは辛さ寂しさから出た「言葉」なのかもしれないけれないですね。

 

でも、やっぱり、亡くなった人の尊厳を守る意味でも、そこは讃えなくてはいけない、と私は感じます。

どんな亡くなり方でも、山あり、谷ありの人生を貫き、「死」を迎えたものに、妙な憐れみを持つ意味はあるのだろうか?

我が子に先立たれた、親ほど、この世で切ない別れはないと思うけれど、必死で理由付けして前に進もうとしている人は大勢いる。

計り知れない苦しみと絶望を何とか、乗り越えようとしている人への言葉かけは、非常に難しい。どんな言葉を欲しているか、到底理解不能であるから。

 

私事になりますが、母も、5年前に父が亡くなってから、御年92歳、一人暮らしです。

 

自営ですが、午前中だけ、喫茶をオープンしています。昔からの常連さんのみで、コーヒーを飲みながら、新聞を読んで帰る老人ばかりです。

足が悪くてこれ亡くなった人

施設に入った人

あるいは亡くなった人・・・常連さんは減る一方ですが、母は暇でもお店は開ける!と宣言しています。

庭いじりをしたり、散歩したり、ゲームしたり、海外ドラマを見たり、とにかく、自由に、気ままに

一人暮らしを堪能している母を、心配しつつも誇らしく思っています。

 

そのように、人生を謳歌している人間に、年老いて一人暮らしは、淋しいでしょう?と自分の感情のままに聞いてくる人もおるそうな・・・・。

そんな時、母は「ぜ~んぜん!自由気ままな憧れの一人暮らしよ!」と返しているようです^^

 

生きざまは人それぞれだし、周りから見て、何に満足しているのか、不満なのか、わかるものでもない。

確かに言える事は、人はいつか死ぬし、死にざまと、生きざまは関係ないという事です。

 

かの聖人、キリストは磔けに、悟りを開き仏陀となった釈迦も、最後は食中毒で、亡くなったというではないか。

 

考えると、死ぬ時に1人でも、ことさら「孤独死」と憐れむことはないし、病院で管に繋がれ、人工呼吸器で生かされる事を望むなら、それも良し。

 

個人の自由。これぞ多様性です^^

 

死ぬ時は一人です。誰かと一緒に逝けません。

 

 

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